狂い日

 高校生の頃、ヒカルの碁に夢中になっていた影響で囲碁をはじめた。当時も、その頃は囲碁がすごく流行っていた。とはいっても、リアルで囲碁を打ってくれる友達なんて一人もいなかったので、インターネットの囲碁サイトによく行っていた。そこで、僕と同じようにヒカルの碁をきっかけに囲碁をはじめた人たちがたくさんいた。

 そこで何人もの人と囲碁友達になったんだけども、そこで知り合った人とは今も付き合いがあり、たまに囲碁を打ったり雑談したりと、良いネット友達の関係を築けている。そんな囲碁友達の中の1人が、僕の住んでるところから電車で2時間ほどの距離にある、観光地ともいえるような賑やかな地域にある喫茶店で働いているということを聞いた。今まで1度も会ったことはないけれども、社会人になった現在、お金には若干の余裕ができたということで、会いに行くなら今しかないだろうと思って会いに行くことにした。

 でも、その人は女性で、僕は男性である。いくら友達といっても、男女2人っていうのは変。それに彼女はただ働いているだけで、その場所に冷やかしに行くだけであって、そのあとに二人で食事に行くつもりもない。とはいうものの、ただ冷やかしに行くために電車で2時間、往復で4時間も揺らされるのは少し気が乗らない。そんなわけで、その人とは違う囲碁で知り合ったネット友達を連れて行くことにした。それで、2人でその場所を観光しようという計画を立てた。観光地でありながら、僕たち2人はその場所には全く縁がなかったのでちょうどいいのではないかと思ったのだ。

 僕ら2人が計画した事は以下の通りだ。まず、喫茶店に行って友達に会い、ご飯を食べつつ冷やかす。その喫茶店では客と従業員での交流が非常にしやすいため、リアル環境で囲碁を打つ。そのことについては相手にも了承をもらっている。ご飯を食べ終わり、話したいことなどを話し終えたあとに2人で観光。お互いに翌日は仕事ということもあるので夕暮れには解散する。以上である。

 これらのことを頭に入れ、当日にその友達と待ち合わせをし、喫茶店に行った。僕の顔を見るなり、少し驚きの表情を浮かべていたのが印象的だった。驚かれたのは僕の想像とは違ったけど、まぁ喫茶店に無事着けたし計画は順調に進行している。

 その喫茶店で、3人で昔話に花を咲かせた。あの時の囲碁の盛り上がり具合や、他に一緒になって囲碁を打って遊んでいた友達のこと、現在のことなど。はじめて見る顔なのに、話がとても盛り上がった。長くネット友達を続けていたからなのか、元々性格の相性が良かったからなのかよくわからないけど、なんだか不思議な感じがした。

 いろいろな話をしているときに、計画していた、この場所で囲碁を打つ話をした。すると、彼女は「負けたくないから私の師匠に代わりに打ってもらう」と言った。たしか、会う約束をする時にそんなことを言っていた覚えがある。覚えがあるけれども、でもそんなことはただの冗談だろうと思っていた。なんてったって、僕からすればただの他人でしかない。それに、師匠はただ知らない人と打たされるためだけに呼ばれるわけだ。意味がわからないだろう。そんなことを本気でやるとは思えなかった。でも彼女は本気だった。

 師匠は僕らがランチを食べたあとにやってきた。折りたたみ式の碁盤を抱えて。あぁ、この人、やる気だ。意味がわからないけど、とりあえず初対面の挨拶だけはちゃんと済ませた。それと、お互いに彼女に対する意味の分からなさについて考えが一致していることを確認した。

 本当に彼女と師匠とわけも分からず打たないといけないのか?と思ったが、彼女は本気らしかった。師匠もやる気だ。そんなこんなで、囲碁を打つ話はあっという間に進み、彼女とその師匠、僕と友達という2対2の変則マッチで交代交代に打っていく形で囲碁を打つことになった。ここで僕の計画がひとつ破綻した。

 囲碁は僕らの負けに終わった。僅差で面白い囲碁にはなったが、それよりもわけのわからないこの状況にまだ戸惑っていた。

 僕の想像していたものでは、彼女と僕ら3人で楽しく雑談をしていたはずだった。さっきまでそうしていたはずだった。でも、今はその場所に初対面である彼女の師匠がいる。少しギクシャクした、探り探りの会話。年齢もそこそこ離れているため、話もなかなか合わない。違和感が、まずい。

 僕はもうさっさと観光に行こうと思った。師匠は囲碁を打つために来ただけだし、彼女は働いている。僕ら2人はこれから観光に行く予定なのだ。早くここから出て行くべきではないか。そうやって足早に出て行こうと思ったが、彼女は「師匠はこれから暇なん?三田さんたち、これから観光するらしいんだけど案内してあげたらどう?」と言った。余計なお世話……。

 師匠も計画がいろいろと狂っているらしく、どうやら仕事から抜けだしてまで来たそうだ。自営業なので可能だったみたいだが、僕らよりも振り回されている。もうどうせだからさらに振り回されようとしたのか、考えることを放棄したような顔で「うん、いいよ」と言った。僕も無表情になった。2人で観光するという計画が破綻した。

 観光は比較的スムーズだった。もともと行きたいところはある程度決まっていたこともあったし、場所を言えばいろいろなところに連れて行ってくれた。観光としてはすごく良かったし満足だった。でも、僕らは初対面である。もちろん、僕と一緒に観光している友達も師匠とは初対面だ。お互いにこの状況をだまって飲み込むしかなかった。それがずっと頭にあったため、観光としてはすごく良くても変な違和感がずっと残っているのだ。

 ある程度観光が済み、もう日が暮れてきたし帰ろうかなと思い始めた頃、彼女の仕事が終わり、こちらに合流するとのこと。どうやら晩御飯を一緒に食べるつもりらしい。もちろん彼女の師匠も一緒だ。全員、半分白目を剥くような形で彼女が仕事を終えるのを待ち、彼女と合流してから和食のおいしいお店に行った。もう計画はすべて破綻した。

 それからのことはあまり覚えていない。明日の仕事のことや、一緒に来た友達に申し訳ないことをしたと考えたりなどをしていたため、たとえ雑談の輪に入っても何を話したのか全然覚えてないし何も考えられてなかった。一方、師匠は開き直ったのかすごく楽しんでいた。友達もそこそこ楽しんでいる様子だったが、明日のことについて少し心配しているようにも思えた。

 結局、21:30頃までお店で話した。4時間くらい計画がズレた。もう何も上手くいっていない。これが「観光」なのだろうか。みんなと別れ、家に帰るまでの道中、「観光」について哲学したり、明日のことや友達への謝罪などで頭がいっぱいになった。

 僕も計画が大きく狂うことになったが、それよりも彼女の師匠が一番狂ってしまっただろう。僕は帰るときも正気を保っていたけど、師匠はもう何も怖くないように明るく笑いながら現実を楽しんでいた。そういう意味でも師匠は大きく狂っていた。

 一方、計画がすこぶる上手くいったのは喫茶店で働くネット囲碁サイトで知り合った女友達だろう。思えば、師匠を呼ぶことは何も障害なく成功し、囲碁に勝つ自信がないために呼んだ師匠のおかげで対局に勝つこともできたし、観光に連れて行かせることもできたし、晩御飯もみんなで楽しく食べることもできた。何も不満なことなんてないだろう。計画をする以前の段階に「師匠を呼ぶ」と言っていたあたりから彼女の計画は密かに進行していて、僕らは手のひらの上で転がされていたのだろう。結局は僕らが計画した観光ツアーではなく、彼女によって計画された観光ツアー旅行だった。ガイドさん、素敵なツアーをどうもありがとうございました(白目)。